こまつ りょうた
小松 亮太
出生名こまつ りょうた
小松 亮太
生誕 (1973-10-30) 1973年10月30日(50歳)
出身地 日本・東京都足立区
ジャンルタンゴ
職業バンドネオン奏者
担当楽器バンドネオン
活動期間1991年-
レーベルSony Music Japan International
事務所ビクターミュージックアーツ
公式サイト公式ウェブサイト
小松 亮太(こまつ りょうた、1973年10月30日 - )は、日本のバンドネオン奏者。タンゴ演奏者。東京都足立区生まれ。
両親ともタンゴ奏者であり、母親はタンゴ・ピアニスト、小松真知子。
妻は、小松が率いる楽団のメンバーで、ヴァイオリン奏者の近藤久美子[1]。3児の父である[1]。 14歳よりバンドネオンを独学で始め、16歳よりカーチョ・ジャンニーニに師事。音楽理論を桐朋学園大学教授である岡部守弘に師事。 歌手、音楽家、アーティストとのコラボレーションも多く、これまでに共演してきたミュージシャンは石井竜也、葉加瀬太郎、沢田研二、THE BOOM、GONTITI、織田哲郎、小曽根真、大貫妙子、佐渡裕、須川展也、ミシェル・ルグラン、ミルバ、Bajofondo Tangoclubの他、NHK交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、イ・ムジチ合奏団なども共演歴がある。 アマチュア団体・東京バンドネオン倶楽部の顧問と指導を1994年から務めている。 ニューエイジ・ミュージックのコンピレーション・アルバム『image』には初回である2000年から参加。 2018年度より洗足学園音楽大学客員教授。「ムコ多糖症支援ネットワーク」で、チャリティ・ライヴなど患者支援のための活動も積極的に行っている。
人物
略歴
1973年10月30日:東京都に生まれる。
1987年:バンドネオンを独学で始める。
1991年:藤沢嵐子のラストステージに伴奏者として参加。
1998年7月:Sony Recordsよりメジャー・デビュー。
1998年:1980年代のアストラル・ピアソラを支えたパブロ・シーグレル、フェルナンド・スアレス・パス、オラシオ・マルビチーノ、H.コンソーレと福岡・大阪・東京にて公演。
1999年:ニューヨークのカーネギー・ホールにて演奏。全米デビューする。
2000年:ビクトル・ラバジェン(バンドネオン)を招き、「Tango Spirit」ツアー敢行。
2003年:ブエノスアイレスでライブを行う。また、アルゼンチン演奏家協会、アルゼンチン音楽家組合、ブエノスアイレス市音楽文化管理局などから表彰される。バンドネオンのレオポルド・フェデリコの日本ツアーに参加。
2004年:タンゴ・ピアノのオスバルド・ベリンジェリ、タンゴ歌手のマリア・グラーニャとツアーを行う。
2005年:国際交流基金の派遣事業として、南米4カ国のツアーを敢行。
2007年:韓国Jarasum International Jazz Festivalに出演。
2008年:ピアソラの幻のオラトリオ「若き民衆」の日本初演コンサートを企画。
2009年:初の書き下ろし本『小松亮太とタンゴへ行こう』(旬報社)を上梓。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日経新聞紙上で絶賛された[要出典]。
2010年:上海万博日本産業館にて、TOKYO JAZZ IN 上海万博に出演。
2011年:アルゼンチンタンゴショー「ロコへのバラード」(東京グローブ座)の音楽監督を務める。NHK-FM『今日は一日タンゴ三昧』でラジオパーソナリティ・演奏を同局の橋本奈穂子アナウンサーと共に10時間務める。
2013年:6月にピアソラのオペリータ「ブエノスアイレスのマリア」をピアソラ元夫人のアメリータ・バルタールと共演。デビュー15周年を迎える。
2014年:2年を費やし編曲を完成したブルックナー作曲 交響曲第8番のバンドネオン・アンサンブル版をよみうり大手町ホールで初演。この模様はYouTubeに公式アップされる。
2015年:6月リリース、大貫妙子とのコラボレーション・アルバム『Tint』が、第57回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を受賞。